道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

クリスマス論

 カラオケに行きたい。
 先日甥っ子の七五三で大掛かりな食事会に参加したのだが、またしても酔っ払い親戚オヤジオバハン連合から「唄え唄え」と言われたのだが、唄う歌がなくて困ったので、ちょっと練習してみた。
 氷川きよしのCDを借り、着うたフルのダウンロードもした。
 つまりレパートリーがなくなってきた。ないことはないのだが、唄うほうも飽きてきたし聞く側も飽きてきただろうと。
 宴会の席などで唄う歌というのは選曲に困る。
 つまりまだどっちかってーと若い世代に入るであろう30代中半としては、まずヒット曲はわからない。知っていても唄ったところで年配連中にはわからん。じゃあ自分達の世代の唄、80年代とか90年代とかに活躍した歌手の歌とか。それこそだめ。
 本物の若い世代にも伝わらないし、年配世代にも伝わらない。
 じゃあ何を唄うかって言うと、誰もが知っている唄で、そこそこ歌い上げることができる唄しかない。
 ちなみのここまでのレパートリーでいうと和田アキ子あの鐘を鳴らすのはあなた」とか氷川きよし箱根八里の半次郎」とか鳥羽一郎「兄弟船」とかコブクロ「蕾」「さくら」森山直太朗「さくら」ゆず「栄光の架け橋」さだまさし秋桜山口百恵「PlaybackPart2」とかか。

 まあいいや。そんなことで今増やそうとしているのは「きよしのズンドコ節」と秋川雅史千の風になって」だ。これがきちんと唄えるようになったらそれなりだろう。
 そう。宴会などで唄うべき歌は「唄いたい歌」でも「贈りたい歌」でもなく、「そこそこ唄える歌」で「ある程度誰でも知っているくらい流行った唄(特に年配者にもある程度支持される唄)」であり、「それなりに突っ込みどころのある唄」である。
 などと勝手に自論を展開してみた。

 さてクリスマスである。
 基本的にクリスマスは嫌いだ。理由は明快で、誕生日が極めて近いからである。みんながみんな俺の誕生日をほったらかして勝手に浮かれていやがるからだ。
 俺の誕生日はクリスマスパーティーでもあって、ご馳走が並ぶんだが姉たちもご馳走だし、もちろんケーキもあるんだが、姉達もはしゃいでいるケーキだったりする。プレゼントも勿論もらったが、姉達もプレゼントをもらっていた。
 裕福な家庭ではなかった。母親が「子供達には貧しい思いをさせたくない」とがんばって人並みな暮らしはさせてもらった。
 そんな我が家ではなにかってーとご馳走に並ぶのは鳥のもも肉だった。アルミホイルが巻かれた鳥のももが一本ずつ皿に乗った。ほんとにほんとに毎度毎度鳥のももだった。でも俺達姉弟はそれが嬉しかった。
 ある歳のクリスマス。鳥のももが並んだ食卓で、消防車の音が聞こえた。「どっちに走っていたか」で議論になった。
 姉達は左に行ったと言い、俺は右だと言った。父親が外に走って見に行っていた。父親が帰ってきて右に行ったと言った。小さなことだったが嬉しかった。そしたら、ばあちゃんが「これやる」と、苺をくれた。その日、俺だけ一つ多く苺を食べることができた。すげえ嬉しかった。そんな思い出がクリスマスにはある。

 年は経て23歳くらいのクリスマス。俺は静岡にいた。教会に住み込んでいた身でクリスマスもへったくれもないのだが、独身男が4人も5人もくりすますの晩になにするよって話しになるのだが、俺は思い立った。
 「チキンだぜ。」と。
 皆から金を集め、「俺が買いに行ってやる。」と、徒歩5分の焼き鳥屋へ行った。
 クリスマスはチキンだ。ケンタッキーが繁盛する。チキンなんだよ。クリスマスは。
 俺は焼き鳥屋に行って「持ち帰りで」とクリスマスイブに30本ほど注文した。勿論手羽先も人数分頼んだ。
 出来上がりを待つ間、生ビールを頼む。一人で焼き鳥屋のカウンターで飲みながら、見渡すと年配のサラリーマン達が飲んでいる。クリスマスイブに、ほんとに男だけしかいない店だった。
 出来上がって熱々の焼き鳥を抱えて帰り道、信号待ちをしていたら、驚いた。
 遠くからバイクの音が聞こえてきて「暴走族か。」と思ったのだが、目の前を通る暴走族一行が、サンタの服を着ていた。

 クリスマスイブに、焼き鳥屋でチキンを買って買える俺の目の前を、サンタ姿の暴走族が通り抜けていった。
 これから男だけの宴会をしようという俺が、なんだか無性にクリスマス気分に浸れた。ありがとう暴走族。
 
 そういう思い出が、クリスマスにはある。てか、これ昔書いたなどこかに。うろ覚えに表現した覚えがあるわ。