道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

元少年被告の実名本

 にしてんま傍聴日記

「A君と記してカネになる?」と、辛らつなタイトルだ。
もちろんのこと、先日出版差し止め申し立てされた本で、山口県光市母子殺害事件の被告である元少年を、実名で執筆された本のこと。
俺は読んでないんですけど。フクトミさんがよく書いてくださったなあと。

フクトミさんお疲れのご様子で、注意深くなく砕けたエントリになっていて面白かった。

この本にはあまり興味がなくて、福富さんのエントリでもなければこの本に触れたものを読まなかったと思うんですけど、実はそのエントリ中

対照的なのは、本村さんの側からこの事件を描いた門田隆将氏の「なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日」だ。フクトミ、この本も出版されてすぐに読んだのだが、そこに描かれている事実(そしてその事実に至るまでの取材)の圧倒的な重みに敬意は抱きながらも、筆者の本村さんに対する思い入れが強すぎて、事実そのものに曇がかかっているかのような読後感を持った。

というご意見に、まったく持って同意、禿同ってやつだった。
門田さんのその本は一気に読んで、ぼろぼろ泣きながら読んだんだけど、それは濃厚な取材に基づかれて客観的に描かれた事実の部分に対しての感情で、門田さんが本村さんや被告に抱いた感情などというものについては、あまり感じるものはなかったなあ、と思っていたところへ、福富さんがこう言ってくださったので嬉しかった。

で、今回の実名本については福富さん曰く

だが、読み終えても、彼のことを実名で記す必然性はまったく見えてこなかった。

本のタイトルにも明らかなように、増田さんは少年に死刑が執行されるべきではないと考えている。
 だがそれは、彼の犯罪行為がどういったものであったのかを、差し戻し控訴審での審理がそうであったように、検討した結果ではない。死刑という刑の是非について思いをめぐらせたからでもない。
 「単純に人情から」「実際に会ってしまった以上」、死んでほしくないと思っているのだという。

だそうだ。
ちょっと読んでみたくなった。

そういえば福冨さんのブログをはじめて読んだのは
彼が犯した新たな罪
だった。
2007年9月のエントリである。