年賀状買った
タイトル以上に語ることがないです。
そりゃツイッターとか流行るわけだ、と今更ながらに思うわけですがいかがお過ごしでしょうか。
11月中に買うのはけっこう早い方じゃないかなーと思う。
いつも作るのがぎりぎりというか年越し年賀状書きみたいな感じだから、買うのもいつもぎりぎり。もうディズニーのやつありません、みたいな感じで。
でも今年は早めに買いましたよ。
100枚。5200円。
高くね?
高いよね。今の時代、100人の相手に、写真と、ほんの数言のメッセージを送るだけで、5200円とか。
固定の光回線の一か月分の料金じゃん、みたいに思ってしまう。
二人でうなぎ食えるじゃん、みたいに思えてしまう。うなぎ好きじゃないけど。
までも、今のご時世年賀状出す人も少なくなっているわけで、そういう中で年賀状を出す(届く)ということは、「ああそれなりに思ってくれてるのかな」と思ってもらえたりするわけで、5200円程度で「ああこの人はこういうことちゃんとやる人なんだ」と思われると思えば、安いものだ、とも思えるわけです。
考え方として、年賀状でしか交流がない程度の相手との関係を続けていくために、こんなめんどくさいイベントを継続するのか、いや、やめてしまおうというのは確かにあるんだと思うんですが、それって、フェイスブック上でしか交流がない相手との交流なんて意味がない、フェイスっブックをやめよう、というのと変わらないんだと思うんですよ。
だとすれば、俺は年賀状という物理的なつながりを持ちたい相手の方を大事にすべきだと思うんですよね。
フェイスブックなんかやめちまえ、みたいに思うことはあるし俺は実際もうほとんどフェイスブック利用してないので、ちょっと俺リア充じゃん、みたいに思ったりします。
現実問題として、年賀状でしかつながりのないような相手って、大事なんですよ。
だから今年も年賀状お送りします。
よろしくお願いいたします。
格安スマホデビューしました 【マイネオ】
毎月のケータイ料金を安くしたい。
その思いは今も昔(10年ほど前)も全国共通のことと思います。
昔auショップにいたりしたころは、毎日そういったことばかり考えているどころか実際にプロとしてアドバイスする側だったわけなんですが、そのブラック企業を辞めてからはど素人なみになっております。
そんな中今回格安スマホ「mineo(マイネオ)」デビューしたお話です。
今年の流行語大賞の有力策「センテンススプリング」を産み出した女優、ベッキーさんをキャラクターに起用していたことも記憶に新しい、あの会社です。
最近盛んにテレビCMを打っているので目にした方は多いかと思いますが、そのマイネオです。
色々書いたら長くなったので先に結論だけ言いますと、大都会群馬でも外で利用するのに(LTE通信時)、そんなに遅いと感じないです。いまのところ。
ただ、auのLTE並みに使えるかというとそれはおそらく言いすぎです。
今回端末も新しくなったのでなんとも言いにくいんですけど、処理速度が向上した分ページ表示速度が上がっているように思えるんですが、通信速度という点では、時間帯によってか場所によってか、不十分だなあと思うこともあります。
しかしながらSNS程度であれば不満に思うことはなさそうです。
料金ですが、俺は今回通話なし(データ通信のみ)3ギガの契約にしました。au回線です。それから端末も分割で購入しました。月額1080円です。それと故障の際のサポートを付けたので、総額およそ2300円程度です。
やっぱり端末代が含まれると驚くほど安いということにはなりませんね。
ですが、この後言うように通話とEメールはauガラケーを持つことにしたので、2台で3500円程度となるわけで、これは今のauと比べるとはるかに安い、半額程度になります。
去年くらいから検討したいたんですけど、乗り換えできない理由がいくつもありまして、なかなか尻込みしていたのです。
一つはauの縛りです。誰でも割の2年縛りと、端末を24回割賦購入していますので、格安に乗り換えてもその端末題はのしかかってくるというプレッシャー。そして、端末題は分割で支払うとしても、解約などをすると基本料の割引である「毎月割」が廃止になるということでなんとなくもったいないような気になってしまうのです。
それからもう一つはマイネオの通信品質です。
俺はスマホヘビーユーザーではありません。スマホでは動画を見たりゲームをしたりすることがほとんどないので、現状月2ギガの契約ですがほぼ余ります。自宅のwifiをメインで使用していることも大きいでしょう。ですから通信速度的にそんなに高速なものは求めていないのですが、気になってしまったのが、月に数度、電車で出かけるときなどにどれほど通信が確保できるのかということです。
特に東京近郊で電車に乗りたいときにYahoo!乗り換え案内をよく利用するのですが、それまでストレスがあったりすると困ってしまうな、とか、電車に乗っていてサイトを閲覧しているときに表示が遅いとなると少し嫌だな、とかそういうことを考えてしまうのです。
乗換案内はともかく、サイトの表示を気にしてしまうというのも、今の世の中どいつもこいつもサイトにペタペタと無駄にでかい写真なんかを貼り付けていやがるせいで、一ページあたりが重くて仕方ないってことなんですけど、わかってんのかコラ、みたいなことは思います。
ちょっとした企業のページにも、やたらとなんか無駄なもんが貼り付けてあるのでそういうのやめてください。
んでも、最近ネットでもやることなくなったなーってのが一つの大きな理由です。
別に外出先でそんなにサイト見たりしなくなった、ということです。
それともう一つ。もしかしたら、という思いなんですけど、最近大手キャリアが基本容量がやたらでかい契約を始めましたよね。
月20ギガ6000円とかそういうの。
それまで7ギガ5000円とかそういうのだったのに、一気に20ですよ。
それを見て、もしかしたら、大手キャリアの帯域にかなりの余裕ができてきてるんじゃないかと、これはもうほんとに勝手な推測です。今や、特に東京など都市部ではどこに行ってもwifiがつながります。スマホユーザーはこれまでの速度制限の苦い思いを学習し、無駄にLTEなどの通信をすることを避けることを学びました。それにより、キャリアのトラフィックがけっこう空きができてきたんじゃあないのか、とか思ったわけです。もちろん設備が増強されているというのも一つだとは思いますが。
使っても使わなくても月データだけで6000円払ってくれるということはキャリアにとってありがたいことでしかありません。
これまで7ギガ制限に引っかからないようにびくびくしてきたユーザーにとっては20ギガは実質使い放題に感じるでしょう。ですから喜んでプラン変更してくれるわけです。キャリアは月1000円の固定収入を得ます。これを「ARPU」という専門用語で、アコギな商売をするときにこの言い方を用います。
そのへんの「もしかしたら」と、現実的に「あんまり使わない」という点を考慮して、人柱になろうと思い、今回マイネオを契約したわけです。
もう一つきっかけとなる理由があって、それは奥様の端末がいよいよバカになってきたという点です。
奥様は3Gスマホをこれまで使っていました。今年の正月の時点で電池の持ちが悪く、さらに動作もおかしいということで安心ケータイサポートを利用し、同機種の新しいものを購入したのですが、もうそれも限界になってしまったようでした。
当初はその奥様の契約をMNPし、マイネオを使わせようと思ったのですが、「メアド変わるの嫌だ」という、とんでもない理由によって断念しました。あれだけ友人たちとラインでやり取りをしているのに、なぜメアドが変わることが嫌なのでしょう。とやんわりと尋ねると、月に数回母親に写真送ったりするから。という回答をいただきました。
俺は説明したりすることをあきらめ、また、MNPするにも誰でも割の契約解除料がかかることを思い出し、断念しました。
結果、俺が今まで使っていたauのアクオス端末を奥様に差し上げることにしました。いわゆる持ち込み機種変更です。
で、俺はどうしたかというと、au回線をガラケーに持ち込み機種変更し、電話とEメール専用機(プランEいわゆるガンガンメール + ezweb利用制限)にし、マイネオをデータ専用の契約をした、ということです。端末もマイネオで分割購入しました。
つまり俺が二台持ちになったのです。
以前もauのタブレットとガラケーの二台持ちにしたことがあり、その時にやっぱり二台持ちめんどいという理由でスマホ一台に戻したのですが、一年半程度でまた二台持ちに戻ることになるとは残念です。
しかし、誰でも割の契約解除料だけでも高額になるため、再来年の更新月を迎えた段階で、改めてMNPを検討すればいいかと思います。
その際は端末は今回購入したものを使用してもいいわけです。
その時は現在契約中のマイネオ回線は解約になるのかもしれませんが、マイネオ回線は基本的に契約期間などの縛りがないということなので、解約に料金がかかるということはないということです。
それも考慮して、今回はデータ通信のみの契約をして「人柱」になった、ということです。
ただ、手数料だけはどうしてもかかりました。
マイネオの契約手数料が3240円、auの持ち込み機種変更が方式変更を伴うためそれぞれ3240円ずつ。合わせて9720円の手数料を取られてます。あれ、誰でも割解除料に相当する笑
マイネオは以前手数料無料キャンペーンとかやってくれてたので、そういうのも狙い目かもしれませんが。
まあ、なにかあったらまた書くかもしれません。
リステリンいいよね
お久しぶりです。お元気ですか。
先日歯医者に行って帰ってきた奥様からリステリンの試供品をもらいました。
けっこう試供品をくださる先生なのです。以前もナントカという高級な歯磨き粉の試供品をもらったことがあります。
その先生には家族全員お世話になっていて信頼している先生なので、その先生がくれるものなら試供品といえどけっこう信頼して使ってしまうわけなんですけど、リステリンは苦手だったんです。
以前。もうほんとにいつのことかわからないくらい以前、どこかで試供品のリステリンを試しに使ってみたところ、口の中がすげーひりひりして、いやヒリヒリどころか痛くて痛くて仕方ないくらいになったのです。
要は刺激が強すぎて。という。
ただまあ、当時は確かまだ結婚前だったと思うし、お酒もたくさん飲んでいたり身体も健康じゃなかったのかなあという思いで、今回改めて使ってみることにしたのです。
なにせ色々気になるお年頃ですから。
そしたら確かにピリピリとした刺激はあるものの、痛いというほどじゃあないです
そしてなによりまず、気持ちいい。
今回先生がくれたのは紫色のやつ。
リステリンというと薄い緑色がイメージ強いですけど、どうやらこれはちょっといいやつっぽい。緑色のは「洗口液」ということらしく、歯磨きをした後に使用するというものらしいです。
そんでもってこの紫色のは「トータルケア」というものらしく、まずもってこれでよくうがいをして、そしてそれからブラッシングをするというものだそう。
リステリンのホームページを見てみるんですけどよくわからないんです。ですがおそらくそういうことなんだろうと思われるのです。
なにがすげーって、俺は下の奥歯が一本歯並びが悪くて、ちょっと内側に倒れているような状況なんです。
その内側とかがやっぱり歯磨きしにくくて、でもリステリン使うとそれだけでけっこうそこもツルツルしてくれる感じになるのです。
そして、手軽です。液体なのでちょいと口に含んでぐちゅぐちゅぺして、そして歯ブラシをすればいい。楽ちん。
そして使用後のさわやかさは、歯磨き粉の比じゃない。
これはいい、ということで、継続的に使用してみようかと思った次第でございます。
それにしてもリステリン、武井壮が起用されているとは知らなかった。
あと、低刺激のもあるようなので、お子様にもよろしそうです。
本能的という言葉
寒い。11月も一週間が過ぎ、明後日には我が家のというか本業の大イベントが控えている今、なぜ俺はこうしてパソコンに向かっているのか理解できないのだが、見事なまでのこの現実逃避を皆さんと共有できたら幸せかもしれないが、数時間後の自分は激しく後悔していることだろう
増田に書かれていたもの。読みました。
俺は幸い男子で、うちの子供は二人とも男子であって、この辺のことはよくわからないんですけど、気になったのは、
「娘が父親に嫌悪感を抱くのは本能的なもので仕方がない」
みたいな話がちらほら聞かれてきていて、おいそれ本当なのかよ。ということです。
ブコメあたりでも言われていて、日本では当然のように言われるが、日本以外ではあまり聞かれないのではないかとか、そういうことも含めて、ほんとに娘は父親を嫌悪する能力を持って生まれてきているのかと。
もちろん、すべての女性がそうであるとは限らないだろうし、男子もそうであるかもしれないし、男子が母親を嫌いになることだってあっていいんじゃないかと思ったりもするんです。
まあそうであってもなくてもどっちでもいいんですけど、俺が気になるのはそれが本当に「本能的に」なのかどうなのかってこと。
本能的にってどういうことだよ。
「本能」ってなに? ってことだよね。それが「的に」ってどういうことだよ。とね。
手元にある広辞苑を開くと「生まれつき持っている性能」とある。
なお「性能=精神的および身体的な行為をする能力」であるそうだ。
であれば、人間が、または人間の女性が生まれつき父親を嫌う能力を持っている、ということ。
それ、ほんとうに?
それが、人間の本能の一つとしてあり得るということ? そんなこと考えたこともなかった。
じゃ、人間の本能ってなに?
教育や学習以外で人間が身につけられている能力ってなに?
産まれても何か月も立ち上がることも動くこともできず、口元に乳房を寄せてもらえなければ母乳を飲むこともできない人間が、どんな本能を持っているのだろう。
泣くことや、手元にある何かを握ることはできるかもしれない。それ以外に、人間の赤ん坊になにができるだろう。
そんなことを昔学校で聞いて、今でもそれはなるほどと思っている。
娘が父親を嫌悪することがあることを否定しない。それはそれで通過儀礼として必要であるケースも多いのだろうし、それは素敵なことかもしれない。
ただそれが「本能」ではないと思うし、そういうことで「本能的に」という言い方をするのは、少し浅はかではないだろうかと思った次第です。
群馬のゲーマーが世界大会で優勝したのだけれど上毛新聞が記事を削除する
昨日あたりにこっそり話題になっていた案件です。
朝日新聞と上毛新聞が、日本人ゲーマーが格闘ゲームの世界大会で優勝したと報じたそうですが、その大会の存在を知っている者がいないのでした。
記事を見てみるとなんとそのゲーマーが大都会群馬県民。しかも隣の市の臨時職員だというではありませんか。これは応援応援。と思っていたのですが、なんだか雲行きがあやしい。
朝日新聞は早々にウェブ記事を削除したらしい。なぜだ。
確かにネットの記事というのは速報性というメリットがあるんですけど、速報性にこだわるあまり、大手新聞社の記事だというのに誤字脱字が多かったり、またはお詫びして訂正どころかほいほい削除されてしまうことは頻繁にあります。
それにしても、大都会群馬県民の栄えあるニュースを早々に削除するとはいい度胸だ。
いや待てよ。と思ったわたくしは出張から帰った昨日(27日)、家に届いている上毛新聞を見てみることにいたしました。
出ていた。載っていた。
隣の市の臨時職員と思われる青年が、若人が、満面の笑みで自作コントローラーを操作している姿が、
スポーツの一面に、でかでかと掲載されているではないか。
しかも見出しに名前まできちんと出ている。上毛新聞さすが!
インターネット界隈で上毛新聞を購読されている方々がどれくらいいらっしゃるのかわかりませんが、上毛新聞は、ニュースの新聞とスポーツ芸能の新聞と、二つに分かれたようなスタイルで毎朝届きます。
ニュースで一部、スポーツで一部、そして折込広告など。
ですからスポーツ面というよりは、上毛スポーツ、という体裁なんです。
その、一面に、ドーンと、かの臨時職員が掲載されているわけです。
「ネットニュースに取材不足の記事が載った! 新聞社は削除した!」
だけの話ではなく、本誌スポーツ一面にデカデカと記事が掲載されたということであります。
結論としては、上記リンク記事にもありますように
その後、朝日新聞は記事を削除。上毛新聞は上毛新聞は27日午後8時、記事を削除し「格闘ゲーム部門で優勝したとする報道は事実無根だったことが分かりました」と謝罪文をホームページ上で掲載した。
だそうであります。
なお、本日(28日)上毛新聞では一面真ん中へんでお詫び記事を載せています。 お詫び記事としては結構大きめだと思います。
「報道に際しての確認作業が不十分で紙面の信頼を損なう結果となりました」
と非を認めていらっしゃいます。
組体操やめようよもう
こんな記事を読みました。
学校での組体操については近年再び議論が高まってきていて、まあ色々あるでしょうが要約すると
「あぶないからやめろ」
の一点に尽きると思うんです。
それに対して反論はもちろんあって、達成感とか努力とか協力とか色々あるんでしょうが、どれもこれも精神論の範囲を出ないように思います。
いやむしろ高校受験で組体操やるんならいいですよ。
組体操できたら入試で有利に働くなら、「先生是非組体操やってください。今年はもういっそのこと11段いきましょううちの子一番下で使ってください!」みたいに言いますよ。そりゃもうPTA本部役員として言いますね。
俺も小中学校で組体操やりました。小学校で3段タワー。中学校で4段タワーでしたね。上から2段目を担当しましたよ。その上で言っても、なにもメリットありませんでした。
それを自分の子供がやってるのを見たいとも思いません。やらせるなとは思います。
むしろ危険すぎて中止になった種目の代表格棒倒しの方がおもしろかったです。あれは今も見たい。あれは最悪逃げることもできるしキャラも各自のポジションも見てとれておもしろいと思うし個々の能力を測る上でも優秀な競技だと思います。
希望者だけでもいいから復活してくれたら運動会を見に行く楽しみも増えるのになあ。と思ったりします。
だが組体操。これはだめです。逃げ道がない。
俺は組体操そのものは批判しないんですよ。でも年々過激になってくやつらがいるわけですよ。それで苦しんでいる子供たちが出るなら、そんなもんやめちまえと思うわけです。
数人での組体操や、せいぜい3段タワーを中心に全体でなにかを表現したりする組体操は、それはそれでいいと思ってるんです。
しかしこの世間の議論の流れの中で、さらに最高段位を達成したり垂れ幕をたらしますみたいなこの挑戦的な学校側の態度をみると、容認派であるところの俺も
「やめちまえそんなもん!」
としか言いようがありません。
これは、一人の保護者としての意見です。
ほんとに、運動会そのものの運営も見直してもいいと思っています。地域や保護者に対しての学校教育活動の公開という目的も理解しますが、どうにもそれもゆがんできていて久しいのではありませんか。
保護者の観覧態度や過剰ともいえる要求があったり、地域や敬老への接待が負担になったりしていませんか。
また、授業時間が足りないと言っている中で練習時間も確保しなければならず、そんな中で組体操や、一部音楽クラブの発表などもプログラムされていたり、演出も過剰になってきていませんか。
であれば、プログラムもある程度しぼり、簡素に、練習も少なくてできるよう、みんなが楽しめる程度の運動会にしてはどうでしょうか。
保護者が望んでいるのも、その程度の運動会であるように思うんですよ。
それで組体操に話を戻しますけど、それをやめちまえとなったらどうすんだ、みたいなことを言う「組体操支持派」がいるでしょうが。そこで俺は提案します。
組体操ではなく集団行動やろうぜ
と思ったらもうやってるとこあるんね。広がるといいな
フェスってなんだよ。。。
よくフェスフェスって聞くんですよ。
なんだろなそれって思ってて。ロックフェスとかね。最近だと「運動会がフェスになってた」みたいなネタも見た。
それとなく俺は「野外で行われる、多品種が出品されるにぎやかなコンサート」だと捉えていたのだが、その意味がわかった。
フェスティバルな。なるほどな。お祭りな。
「ティバル」ぐらい言ってよ。おじさん何年も意味わかってなかったよ。
フェスティバルな。お祭りしてたんな。みんなな。
地鎮フェスとか祈願フェスとかな。あるもんな。
祇園フェスとかな。三社フェスとかな。やっとるわな。
これからはフェスの意味を理解して生きていけるぜな。
フラッシュモブのなにがいけないか
昨日の結婚式、フラッシュモブのせいで最悪でした。質問というより愚痴です... - Yahoo!知恵袋
知恵袋ネタなんですけど。
このケースに関して言えば、旦那が悪い。新婦(トピ主)さん正義。となります。
なんでかっていうと、これって、フラッシュモブじゃなくてドッキリでしかないんですよ。
フラッシュモブっておそらくショウです。いい意味での裏切りを意味してるんだと思うんですよね。日常風景の中にいきなり音楽とチームダンスが現れてくるという。だからこそのサプライズなんです。
だけどこの場合、結婚披露宴という、すでにショウアップされた儀式の中に演出として組み込んでしまった。そして対象は新婦さん一人です。これはね、ドッキリなんですよ。
サプライズと言いながら、新婦さんをさらし者にしてるんです。笑いものにしてるだけ。これ滑ってたらどうするんですか。というかそうとう滑ってますけど。
んで、フラッシュモブの使いどころって、せいぜいプロポーズまでですよ。男が女を口説く時のクッションとして使う。工夫というか小細工です。その手段、演出のひとつですわな。
だけど今回披露宴であれば、それ、主役はまあ、新郎新婦と言えなくもないけど、本来は招待客が主役でしょ。両家なのか両人なのかわからないけど、宴を設けて招待して、「来ていただいた」皆さんに自分たちの披露をすべきでしょ。てことはですね、新郎と新婦(両家)がみなさんをおもてなしするのが主たる目的でしょう。
そこでなに新婦にドッキリしかけてんだよ。という話です。
新婦にしてみたら、招待客の前で、知らない間に小ネタ仕込まれてダダ滑りされて披露宴ぶち壊されて、そりゃブチ切れですよ。最後まできちんと、ちゃんとした式としてみなさんを送り出ししたい、と思っていた新婦が、もう台無しですよ。
これね、新婦にしてみたら、例の宮崎議員の奥さん的な心境ですよきっと。「ブチ壊しやないか!」と。誰にどんだけ頭下げて回ったらいいねん! ってね。そんな感じです。
披露宴でサプライズやるなとは思いませんが、やるならちゃんと根回しして下準備しっかりやれと。この旦那たちはきっと、テレビのドッキリをほんとにドッキリでやってると思ってる人たちなんだろうな、と思うわけです。
というわけで、
1、フラッシュモブはショウであってドッキリじゃあない
2、披露宴でやるなプロポーズにしとけ
ということです。
自己満足だけならまだしも、それを相手や群集に押し付けるのは勘弁してくれ。という話ですね。
ダダッ子を置き去りにすることがそんなに悪いのか
読みました
北海道山中で小学生男児が行方不明という事件も痛まししけれどそれは続報待ち。それに関連してこんな記事を読みました。
子供がグズグズしたり駄々こねたときに親が「うるせーコラじゃあ一生そこでそうしてろ」と子供を置き去りにするフリをするのはいけないことなんだろうか。
「置き去りにする」のなら、それは悪い親だと思います。それは悪い。
でも多くの親は「フリ」でしょ。置き去りにしないですよ。それはもう、99%以上の親はそうでしょ。
基本、親は自分の子をかわいいと思うもんです。だから本当に置き去りにしたりしない。でも、「うるせえなあ!」って思うくらい子供って言うこときかないときあるでしょ。
だからもう、ほんとにもう、「つい」カッとなってとか「つい」イラっとして
「じゃあいいよもうなんなんだよお前はよお!」
ってなっちゃうでしょ。そんなのさ、子育てしてりゃ日常茶飯事じゃん。
それを。それを、
駅とかで、よく子供に「お母さん、もう置いていくよ!」などと言われて親にスタスタ置き去りにされる子供をみたら僕は必ず大きな声で、「捨てられたのか!おじちゃんといい所へ行こう!」と抱き上げます。だいたいの母親は血相変えて戻ってきます。僕は毎回、本当にいいことをしていると思っています。
とかやられたらさ、「待て待て待て待てなにしとんねーん!」ってなるでしょ。
そもそもそのとき、すげー腹が立ってるわけですよ。もうね、ありえないくらい。かわいい自分の子供に「うるせーてめえ!」ってなってしまうくらい、腹が立ってるわけです。人目も気にせず「じゃあそこにいなさい!」って言ってしまうくらい、見境ないときですよ。それをそんなふうにチャカされたら。茶化す行為ですよこれ。あったまくるでしょ。
「おいおいあいつなんだよマジんなっちゃってだっせえの。」って、
無関係な人間に、見ず知らずの相手に、それなりに真剣な思いを足蹴にされて笑われるのだ。
そんなにみじめなことってあるだろうか。自分の無力さなんて承知してるよ。あとですげー反省するんだよ。ごめんねってたくさん言うんだよ。それをさ、プギャーって言われてあげく
「いいことをしたと思います」
とか言われたら、ほんとに情けなくて泣きたくなるね。
いいことしたいならせめて「まあまあお父さんそう言わずに、お子さん泣いてますよ」くらい言えよ。直接親に言えよ。子供ダシにするなよ。なんかあったら「親の責任親の責任」って石投げるくせに、目の前で親が 狼狽してるときに直接石投げてこないってなんなのよっていうね。
というかですね、「いいことをしたい」というのはつまりそうやって、子供をいじめる悪い親を成敗したいってことなんでしょうから、「まあまあそう言わずにお父さん。あなたのやってることは虐待じゃありませんか」って言ってこいよ。
そんなことを思うわけですよ。
で、そんなことを言うときっと「子供をかわいがる親ばかりじゃない」とですね、言われるわけですよね。毒親っていうんですかね、そういうのがいるのでかわいそうな子供に助け舟をだしてやったのだと。
俺がまずいなーと思うのはまさにそこで、そういう親がいるのはわかってますよ。だからこそ、そういう親が、自分の子供に「いいこと」をされたらどうなるんですかね。
「お前のせいで恥かかされたじゃねえか」
「お前が泣き叫んだせいでへんな奴に声かけられたじゃねえか。俺がいなかったらお前誘拐されて殺されてたんだぞ」
とか、さらに逆上する材料になるんじゃないんですかね、ってことがね、心配でしたよね。
だから、まあ、怒って置き去りにする行為が正当化されるとも思ってませんけど、それをドヤ顔で「おじさんと行こうって言うと親が連れ戻しに来るのでいいことした気分」とかって言ってるのも、それを肯定的に拡散するのも、同じくらいかそれ以上に恥ずかしい行為だろう。ということです。
子育てしたことねえんじゃねえの? って思いますね。まじで。
結婚式はやった方がいいと思う(披露宴はまた別)
読みました。
俺は結婚式「やろうぜ」と思う派です。ただし、披露宴は「どっちでもいい」と思います。
まあね、今大体結婚式と披露宴てセットでやりますわね。
んで、親族や親しい友人以外(会社関係や友人)は、結婚式が終わって披露宴から呼ばれることも多いんじゃないですかね。
なので結婚式と披露宴はわけて考えたほうがいいと思うんですよ。
俺はサラリーマン時代も超絶ブラックの地方の零細企業だったので、会社関係の披露宴に呼ばれたこととかないし、今の業界も結婚式とか披露宴とか呼ばれることもないんですよねー。独身も多いしなあ。
だから頻繁に「行きたくもない披露宴に行かされる」こともないのでこんなことがいえるのかとも思うんですが。
俺自身の結婚式、披露宴については昔書いたものがあります。
そこで、披露宴てなんだろう。なんで披露宴なんてやるんだろう、ということについて書きましたけど、
披露宴て言うのは、両家の親戚同士の前で「私たち結婚しました」=家族になりました つまり親戚が増えましたっていうことを報告する場であり、また、新しく親戚となった方はこの人であり、さらにその家族親族はこれらですっていう紹介も兼ねてのことなんだって思った。
俺流節約結婚式プログラム - 道ログ2
んで、どういう風にしたかっていうと、俺はこんな風に考えて、披露宴を作りました。
自分の結婚した相手がこんな人なんです、これから大人の仲間入りして親戚の中でも色々とお世話になりますっていう際に、「新しい旦那さん(お嫁さん)はどんな人なの?」って知るためには、その友人に聞いてもらうのが一番だと思ったからだ。 俺たちはこんな人たちに囲まれて成長してきました。って、親しい友人を紹介することで相手方の親戚への自己紹介になるんじゃないか、って思ったんだ。
俺流節約結婚式プログラム - 道ログ2
こんな感じです。
だから、普段付き合いのある親戚や世話になっている人の披露宴に招待してもらうのは嬉しいことだし、可能な限り出席してあげるべきだと思うし、友人としても、仲の良い大切な友人であれば、祝福に駆けつけてあげるべきだと思ってます。
こんな風に思っているからこそ、「なんとなくやる」ような披露宴は、やらなきゃいいのに、と思うんです。そして、行かなくていいんじゃね、と思うんです。
なんで披露宴やるの。って、招待する側はきちんと考えて、自分なりの理由でいいから持った上で、招待するべきだと思うんですよね。意識高い風に言えば「コンセプトをしっかり持って」披露宴すべきなんですよ。
そうでないなら、やらんでいいです。
招待され側も、どーでもいい相手なら勇気をもって断ろう。親戚の披露宴などはそう多くないだろうけど、友人となると年齢的に重なる時期もあろう。その友人はほんとに大切な友人だろうか。家族を持った後も付き合っていきたいだろうか、それくらい考えて出欠を決めていいんじゃなかろうか。と思ったりします。
仕事関係の付き合いでたくさん呼ばれるほどの人であれば、それはそれで交際費であきらめてしまうという手段もあります。そのへんのことはよくわかりません。お財布と仕事と相談してくださいごめんなさい。
ただし。
結婚式はやろう。招待者などいなくていい。家族だけでもいい。二人だけでもいい。
結婚式はやるべきだ。結婚というのは大切なことなんだ。人生でそうあることじゃない(できれば一度きりがいい)。他人同士がもっとも近い家族になるのだ。人間の意志によって決断する、おそらくもっとm大きな決断だと思うのです。
ですから、信仰のある人はその神様なりの御前にて。または逆に信仰によって、人々に対して「愛を誓う」ことが大切なのです。
つらいことがあったとき、不仲になりかけたとき、なぜこの人と一緒にいなければならないのかと悩んだとき、
「あの日私たちは神様の前で夫婦になったのだ。神様と約束をしたのだ」
という事実は、大きな勇気になるのです。
だから是非、形はどうであれ、結婚式という儀式は、大切にしていただきたい、と思います。