道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

本能的という言葉

寒い。11月も一週間が過ぎ、明後日には我が家のというか本業の大イベントが控えている今、なぜ俺はこうしてパソコンに向かっているのか理解できないのだが、見事なまでのこの現実逃避を皆さんと共有できたら幸せかもしれないが、数時間後の自分は激しく後悔していることだろう

 

   

娘が気持ち悪い

  

父を気持ち悪いと思った過去。

 

 増田に書かれていたもの。読みました。

 俺は幸い男子で、うちの子供は二人とも男子であって、この辺のことはよくわからないんですけど、気になったのは、

 

「娘が父親に嫌悪感を抱くのは本能的なもので仕方がない」

 

 みたいな話がちらほら聞かれてきていて、おいそれ本当なのかよ。ということです。

 ブコメあたりでも言われていて、日本では当然のように言われるが、日本以外ではあまり聞かれないのではないかとか、そういうことも含めて、ほんとに娘は父親を嫌悪する能力を持って生まれてきているのかと。

 もちろん、すべての女性がそうであるとは限らないだろうし、男子もそうであるかもしれないし、男子が母親を嫌いになることだってあっていいんじゃないかと思ったりもするんです。

 

 まあそうであってもなくてもどっちでもいいんですけど、俺が気になるのはそれが本当に「本能的に」なのかどうなのかってこと。

 本能的にってどういうことだよ。

「本能」ってなに? ってことだよね。それが「的に」ってどういうことだよ。とね。

 手元にある広辞苑を開くと「生まれつき持っている性能」とある。

 なお「性能=精神的および身体的な行為をする能力」であるそうだ。

 であれば、人間が、または人間の女性が生まれつき父親を嫌う能力を持っている、ということ。

 

 それ、ほんとうに?

 それが、人間の本能の一つとしてあり得るということ? そんなこと考えたこともなかった。

 じゃ、人間の本能ってなに?

 教育や学習以外で人間が身につけられている能力ってなに?

 産まれても何か月も立ち上がることも動くこともできず、口元に乳房を寄せてもらえなければ母乳を飲むこともできない人間が、どんな本能を持っているのだろう。

 泣くことや、手元にある何かを握ることはできるかもしれない。それ以外に、人間の赤ん坊になにができるだろう。

 そんなことを昔学校で聞いて、今でもそれはなるほどと思っている。

 

 娘が父親を嫌悪することがあることを否定しない。それはそれで通過儀礼として必要であるケースも多いのだろうし、それは素敵なことかもしれない。

 ただそれが「本能」ではないと思うし、そういうことで「本能的に」という言い方をするのは、少し浅はかではないだろうかと思った次第です。

群馬のゲーマーが世界大会で優勝したのだけれど上毛新聞が記事を削除する

www.buzzfeed.com

 昨日あたりにこっそり話題になっていた案件です。

 朝日新聞と上毛新聞が、日本人ゲーマーが格闘ゲームの世界大会で優勝したと報じたそうですが、その大会の存在を知っている者がいないのでした。

 記事を見てみるとなんとそのゲーマーが大都会群馬県民。しかも隣の市の臨時職員だというではありませんか。これは応援応援。と思っていたのですが、なんだか雲行きがあやしい。

 朝日新聞は早々にウェブ記事を削除したらしい。なぜだ。

 確かにネットの記事というのは速報性というメリットがあるんですけど、速報性にこだわるあまり、大手新聞社の記事だというのに誤字脱字が多かったり、またはお詫びして訂正どころかほいほい削除されてしまうことは頻繁にあります。

 それにしても、大都会群馬県民の栄えあるニュースを早々に削除するとはいい度胸だ。

 

 いや待てよ。と思ったわたくしは出張から帰った昨日(27日)、家に届いている上毛新聞を見てみることにいたしました。

 

 出ていた。載っていた。

 隣の市の臨時職員と思われる青年が、若人が、満面の笑みで自作コントローラーを操作している姿が、

 

 スポーツの一面に、でかでかと掲載されているではないか。

 しかも見出しに名前まできちんと出ている。上毛新聞さすが!

 

 インターネット界隈で上毛新聞を購読されている方々がどれくらいいらっしゃるのかわかりませんが、上毛新聞は、ニュースの新聞とスポーツ芸能の新聞と、二つに分かれたようなスタイルで毎朝届きます。

 ニュースで一部、スポーツで一部、そして折込広告など。

 ですからスポーツ面というよりは、上毛スポーツ、という体裁なんです。

 その、一面に、ドーンと、かの臨時職員が掲載されているわけです。

 「ネットニュースに取材不足の記事が載った! 新聞社は削除した!」

 だけの話ではなく、本誌スポーツ一面にデカデカと記事が掲載されたということであります。

 

 結論としては、上記リンク記事にもありますように

 その後、朝日新聞は記事を削除。上毛新聞は上毛新聞は27日午後8時、記事を削除し「格闘ゲーム部門で優勝したとする報道は事実無根だったことが分かりました」と謝罪文をホームページ上で掲載した。

 

 だそうであります。

 

f:id:doksensei:20160928083324j:plain

 

 なお、本日(28日)上毛新聞では一面真ん中へんでお詫び記事を載せています。 お詫び記事としては結構大きめだと思います。

 「報道に際しての確認作業が不十分で紙面の信頼を損なう結果となりました」

 と非を認めていらっしゃいます。

組体操やめようよもう

こんな記事を読みました。

 

bylines.news.yahoo.co.jp

 

 学校での組体操については近年再び議論が高まってきていて、まあ色々あるでしょうが要約すると

 

「あぶないからやめろ」

 

 の一点に尽きると思うんです。

 それに対して反論はもちろんあって、達成感とか努力とか協力とか色々あるんでしょうが、どれもこれも精神論の範囲を出ないように思います。

 いやむしろ高校受験で組体操やるんならいいですよ。

 組体操できたら入試で有利に働くなら、「先生是非組体操やってください。今年はもういっそのこと11段いきましょううちの子一番下で使ってください!」みたいに言いますよ。そりゃもうPTA本部役員として言いますね。

 

 俺も小中学校で組体操やりました。小学校で3段タワー。中学校で4段タワーでしたね。上から2段目を担当しましたよ。その上で言っても、なにもメリットありませんでした。

 それを自分の子供がやってるのを見たいとも思いません。やらせるなとは思います。

 むしろ危険すぎて中止になった種目の代表格棒倒しの方がおもしろかったです。あれは今も見たい。あれは最悪逃げることもできるしキャラも各自のポジションも見てとれておもしろいと思うし個々の能力を測る上でも優秀な競技だと思います。

 希望者だけでもいいから復活してくれたら運動会を見に行く楽しみも増えるのになあ。と思ったりします。

 

 だが組体操。これはだめです。逃げ道がない。

 俺は組体操そのものは批判しないんですよ。でも年々過激になってくやつらがいるわけですよ。それで苦しんでいる子供たちが出るなら、そんなもんやめちまえと思うわけです。

 数人での組体操や、せいぜい3段タワーを中心に全体でなにかを表現したりする組体操は、それはそれでいいと思ってるんです。

 しかしこの世間の議論の流れの中で、さらに最高段位を達成したり垂れ幕をたらしますみたいなこの挑戦的な学校側の態度をみると、容認派であるところの俺も

「やめちまえそんなもん!」

 としか言いようがありません。

 これは、一人の保護者としての意見です。

 ほんとに、運動会そのものの運営も見直してもいいと思っています。地域や保護者に対しての学校教育活動の公開という目的も理解しますが、どうにもそれもゆがんできていて久しいのではありませんか。

 保護者の観覧態度や過剰ともいえる要求があったり、地域や敬老への接待が負担になったりしていませんか。

 また、授業時間が足りないと言っている中で練習時間も確保しなければならず、そんな中で組体操や、一部音楽クラブの発表などもプログラムされていたり、演出も過剰になってきていませんか。

 

 であれば、プログラムもある程度しぼり、簡素に、練習も少なくてできるよう、みんなが楽しめる程度の運動会にしてはどうでしょうか。

 保護者が望んでいるのも、その程度の運動会であるように思うんですよ。

 

 それで組体操に話を戻しますけど、それをやめちまえとなったらどうすんだ、みたいなことを言う「組体操支持派」がいるでしょうが。そこで俺は提案します。

 

 組体操ではなく集団行動やろうぜ

 と思ったらもうやってるとこあるんね。広がるといいな

 

 

フェスってなんだよ。。。

 よくフェスフェスって聞くんですよ。

 なんだろなそれって思ってて。ロックフェスとかね。最近だと「運動会がフェスになってた」みたいなネタも見た。

 それとなく俺は「野外で行われる、多品種が出品されるにぎやかなコンサート」だと捉えていたのだが、その意味がわかった。

 

 フェスティバルな。なるほどな。お祭りな。

 「ティバル」ぐらい言ってよ。おじさん何年も意味わかってなかったよ。

 フェスティバルな。お祭りしてたんな。みんなな。

 

 地鎮フェスとか祈願フェスとかな。あるもんな。

 祇園フェスとかな。三社フェスとかな。やっとるわな。

 これからはフェスの意味を理解して生きていけるぜな。

フラッシュモブのなにがいけないか

昨日の結婚式、フラッシュモブのせいで最悪でした。質問というより愚痴です... - Yahoo!知恵袋

  知恵袋ネタなんですけど。

 このケースに関して言えば、旦那が悪い。新婦(トピ主)さん正義。となります。

 なんでかっていうと、これって、フラッシュモブじゃなくてドッキリでしかないんですよ。

 フラッシュモブっておそらくショウです。いい意味での裏切りを意味してるんだと思うんですよね。日常風景の中にいきなり音楽とチームダンスが現れてくるという。だからこそのサプライズなんです。

 だけどこの場合、結婚披露宴という、すでにショウアップされた儀式の中に演出として組み込んでしまった。そして対象は新婦さん一人です。これはね、ドッキリなんですよ。

 サプライズと言いながら、新婦さんをさらし者にしてるんです。笑いものにしてるだけ。これ滑ってたらどうするんですか。というかそうとう滑ってますけど。

 んで、フラッシュモブの使いどころって、せいぜいプロポーズまでですよ。男が女を口説く時のクッションとして使う。工夫というか小細工です。その手段、演出のひとつですわな。

 だけど今回披露宴であれば、それ、主役はまあ、新郎新婦と言えなくもないけど、本来は招待客が主役でしょ。両家なのか両人なのかわからないけど、宴を設けて招待して、「来ていただいた」皆さんに自分たちの披露をすべきでしょ。てことはですね、新郎と新婦(両家)がみなさんをおもてなしするのが主たる目的でしょう。

 そこでなに新婦にドッキリしかけてんだよ。という話です。

 新婦にしてみたら、招待客の前で、知らない間に小ネタ仕込まれてダダ滑りされて披露宴ぶち壊されて、そりゃブチ切れですよ。最後まできちんと、ちゃんとした式としてみなさんを送り出ししたい、と思っていた新婦が、もう台無しですよ。

 これね、新婦にしてみたら、例の宮崎議員の奥さん的な心境ですよきっと。「ブチ壊しやないか!」と。誰にどんだけ頭下げて回ったらいいねん! ってね。そんな感じです。

 

 披露宴でサプライズやるなとは思いませんが、やるならちゃんと根回しして下準備しっかりやれと。この旦那たちはきっと、テレビのドッキリをほんとにドッキリでやってると思ってる人たちなんだろうな、と思うわけです。

 

 というわけで、

 

1、フラッシュモブはショウであってドッキリじゃあない

2、披露宴でやるなプロポーズにしとけ

 

 ということです。

 自己満足だけならまだしも、それを相手や群集に押し付けるのは勘弁してくれ。という話ですね。

ダダッ子を置き去りにすることがそんなに悪いのか

読みました

 

 

shinoegg.hatenablog.com

 

 北海道山中で小学生男児が行方不明という事件も痛まししけれどそれは続報待ち。それに関連してこんな記事を読みました。

 子供がグズグズしたり駄々こねたときに親が「うるせーコラじゃあ一生そこでそうしてろ」と子供を置き去りにするフリをするのはいけないことなんだろうか。

 

「置き去りにする」のなら、それは悪い親だと思います。それは悪い。

 でも多くの親は「フリ」でしょ。置き去りにしないですよ。それはもう、99%以上の親はそうでしょ。

 基本、親は自分の子をかわいいと思うもんです。だから本当に置き去りにしたりしない。でも、「うるせえなあ!」って思うくらい子供って言うこときかないときあるでしょ。

 だからもう、ほんとにもう、「つい」カッとなってとか「つい」イラっとして

「じゃあいいよもうなんなんだよお前はよお!」

 ってなっちゃうでしょ。そんなのさ、子育てしてりゃ日常茶飯事じゃん。

 

 それを。それを、

 駅とかで、よく子供に「お母さん、もう置いていくよ!」などと言われて親にスタスタ置き去りにされる子供をみたら僕は必ず大きな声で、「捨てられたのか!おじちゃんといい所へ行こう!」と抱き上げます。だいたいの母親は血相変えて戻ってきます。僕は毎回、本当にいいことをしていると思っています。

 とかやられたらさ、「待て待て待て待てなにしとんねーん!」ってなるでしょ。

 そもそもそのとき、すげー腹が立ってるわけですよ。もうね、ありえないくらい。かわいい自分の子供に「うるせーてめえ!」ってなってしまうくらい、腹が立ってるわけです。人目も気にせず「じゃあそこにいなさい!」って言ってしまうくらい、見境ないときですよ。それをそんなふうにチャカされたら。茶化す行為ですよこれ。あったまくるでしょ。

 「おいおいあいつなんだよマジんなっちゃってだっせえの。」って、

 無関係な人間に、見ず知らずの相手に、それなりに真剣な思いを足蹴にされて笑われるのだ。

 そんなにみじめなことってあるだろうか。自分の無力さなんて承知してるよ。あとですげー反省するんだよ。ごめんねってたくさん言うんだよ。それをさ、プギャーって言われてあげく

「いいことをしたと思います」

 とか言われたら、ほんとに情けなくて泣きたくなるね。

 いいことしたいならせめて「まあまあお父さんそう言わずに、お子さん泣いてますよ」くらい言えよ。直接親に言えよ。子供ダシにするなよ。なんかあったら「親の責任親の責任」って石投げるくせに、目の前で親が 狼狽してるときに直接石投げてこないってなんなのよっていうね。

 

 というかですね、「いいことをしたい」というのはつまりそうやって、子供をいじめる悪い親を成敗したいってことなんでしょうから、「まあまあそう言わずにお父さん。あなたのやってることは虐待じゃありませんか」って言ってこいよ。

 

 そんなことを思うわけですよ。

 で、そんなことを言うときっと「子供をかわいがる親ばかりじゃない」とですね、言われるわけですよね。毒親っていうんですかね、そういうのがいるのでかわいそうな子供に助け舟をだしてやったのだと。

 俺がまずいなーと思うのはまさにそこで、そういう親がいるのはわかってますよ。だからこそ、そういう親が、自分の子供に「いいこと」をされたらどうなるんですかね。

 

「お前のせいで恥かかされたじゃねえか」

「お前が泣き叫んだせいでへんな奴に声かけられたじゃねえか。俺がいなかったらお前誘拐されて殺されてたんだぞ」

 

 とか、さらに逆上する材料になるんじゃないんですかね、ってことがね、心配でしたよね。

 だから、まあ、怒って置き去りにする行為が正当化されるとも思ってませんけど、それをドヤ顔で「おじさんと行こうって言うと親が連れ戻しに来るのでいいことした気分」とかって言ってるのも、それを肯定的に拡散するのも、同じくらいかそれ以上に恥ずかしい行為だろう。ということです。

 

 子育てしたことねえんじゃねえの? って思いますね。まじで。

結婚式はやった方がいいと思う(披露宴はまた別)

 読みました。

 俺は結婚式「やろうぜ」と思う派です。ただし、披露宴は「どっちでもいい」と思います。

www.sekaihaasobiba.com

 

 まあね、今大体結婚式と披露宴てセットでやりますわね。

 んで、親族や親しい友人以外(会社関係や友人)は、結婚式が終わって披露宴から呼ばれることも多いんじゃないですかね。

 なので結婚式と披露宴はわけて考えたほうがいいと思うんですよ。

 俺はサラリーマン時代も超絶ブラックの地方の零細企業だったので、会社関係の披露宴に呼ばれたこととかないし、今の業界も結婚式とか披露宴とか呼ばれることもないんですよねー。独身も多いしなあ。

 だから頻繁に「行きたくもない披露宴に行かされる」こともないのでこんなことがいえるのかとも思うんですが。

 

 俺自身の結婚式、披露宴については昔書いたものがあります。

 

俺流節約結婚式プログラム - 道ログ2

 

 そこで、披露宴てなんだろう。なんで披露宴なんてやるんだろう、ということについて書きましたけど、

 

 

披露宴て言うのは、両家の親戚同士の前で「私たち結婚しました」=家族になりました つまり親戚が増えましたっていうことを報告する場であり、また、新しく親戚となった方はこの人であり、さらにその家族親族はこれらですっていう紹介も兼ねてのことなんだって思った。

俺流節約結婚式プログラム - 道ログ2

 

 んで、どういう風にしたかっていうと、俺はこんな風に考えて、披露宴を作りました。

 

自分の結婚した相手がこんな人なんです、これから大人の仲間入りして親戚の中でも色々とお世話になりますっていう際に、「新しい旦那さん(お嫁さん)はどんな人なの?」って知るためには、その友人に聞いてもらうのが一番だと思ったからだ。 俺たちはこんな人たちに囲まれて成長してきました。って、親しい友人を紹介することで相手方の親戚への自己紹介になるんじゃないか、って思ったんだ。

俺流節約結婚式プログラム - 道ログ2

 

 こんな感じです。

 だから、普段付き合いのある親戚や世話になっている人の披露宴に招待してもらうのは嬉しいことだし、可能な限り出席してあげるべきだと思うし、友人としても、仲の良い大切な友人であれば、祝福に駆けつけてあげるべきだと思ってます。

 

 こんな風に思っているからこそ、「なんとなくやる」ような披露宴は、やらなきゃいいのに、と思うんです。そして、行かなくていいんじゃね、と思うんです。

 なんで披露宴やるの。って、招待する側はきちんと考えて、自分なりの理由でいいから持った上で、招待するべきだと思うんですよね。意識高い風に言えば「コンセプトをしっかり持って」披露宴すべきなんですよ。

 そうでないなら、やらんでいいです。

 招待され側も、どーでもいい相手なら勇気をもって断ろう。親戚の披露宴などはそう多くないだろうけど、友人となると年齢的に重なる時期もあろう。その友人はほんとに大切な友人だろうか。家族を持った後も付き合っていきたいだろうか、それくらい考えて出欠を決めていいんじゃなかろうか。と思ったりします。

 仕事関係の付き合いでたくさん呼ばれるほどの人であれば、それはそれで交際費であきらめてしまうという手段もあります。そのへんのことはよくわかりません。お財布と仕事と相談してくださいごめんなさい。

 

 ただし。

 結婚式はやろう。招待者などいなくていい。家族だけでもいい。二人だけでもいい。

 結婚式はやるべきだ。結婚というのは大切なことなんだ。人生でそうあることじゃない(できれば一度きりがいい)。他人同士がもっとも近い家族になるのだ。人間の意志によって決断する、おそらくもっとm大きな決断だと思うのです。

 ですから、信仰のある人はその神様なりの御前にて。または逆に信仰によって、人々に対して「愛を誓う」ことが大切なのです。

 

 つらいことがあったとき、不仲になりかけたとき、なぜこの人と一緒にいなければならないのかと悩んだとき、

「あの日私たちは神様の前で夫婦になったのだ。神様と約束をしたのだ」

 という事実は、大きな勇気になるのです。

 だから是非、形はどうであれ、結婚式という儀式は、大切にしていただきたい、と思います。

オバマ大統領が広島を訪れたのでありがとうと言いたくなった

www.huffingtonpost.jp

 

 まさに歴史的な一日だったということで、さすがに記しておきたい。

 外交にも政治にもそれほど興味はないけれど、これはもうほんとにすごいと思うし、なんというか、すごいことが起きたっていうことはわかった。

 

 で、それを批評する能力は持ち合わせてないので、ちょろっとだけなんとなく感じたことを書いておくと、まず、日本側(広島のみなさん?)が、アメリカに対して謝罪を求めなかったということで、その決断を支持したい。すごくすごく葛藤があったと思うし、色んな方面を説得するのも大変だったんじゃないかと思う。それでも、友好的にというか、あたたかくお迎えしたいという気持ちというか、そういうの、すごくいいと思う。

 

 そして、オバマ大統領のその決断というか、また真摯な振る舞いと態度というか、そういうのにもう、なんか感動した。

 スピーチの内容がどうとか、日本の外交がどうとか、それぞれの首脳がどうとかっていう評価のしようもあるし、皆さんそれをもって歴史的と評するわけなんだが、俺はなんていうかこう、オバマ大統領ありがとう、的な感情になった。

 

 広島のみなさんもありがとう、と思った。

 権力者であったり、国と国であったり、過去のいろいろがあったりすることはそれなりに理解するのだが、それにしても、結局のところ、人と人。人対人の延長上に世界は広がっていくのだ、というような、宗教家として非常にもったいない光景を見たような気がした。

 

 ほんとうに関係各位、お疲れ様でした。世界のために大きく貢献していただいたことと思います。

 オバマさん、ありがとう。

 

www.asahi.com

ホテルマンが低賃金の非正規のとき、夢の国のキャスト様たちはどうしているのか

帝国ホテルのホテルマンが普通に時給1000円くらいのバイトだった - Togetterまとめ

 

 ホテルマンによる個人情報流出がまた話題になったらしい。詳しくは見てない。

 その案件を聞いて思い出したのはもう数年前だが、ホテル内のレストランのアルバイト学生が、サッカー選手と女優が来たと、よりによって不倫現場をばらした事件だ。

 あの女子は「女子力」という言葉を女子力とは無縁の世界に一般かした功績は大きいし、女子力が高い女子=なんかいけすかない、というイメージを固定化したと思う。

 引き続いてスポーツ用品店のアルバイトが来店したプロ選手をディスるツイートをして炎上したりした、そういう時期のお話だ。

 今回炎上したのはホテルマンのやらかしそのものではなくて、そのスタッフが正規雇用ではないらしいということ、さらに時給1000円で働かされていたということが原因ぽい。

 

 日本のサービス業は、というと主語が大きいけれど、サービスの現場をいくつか見てみると、本当に待遇が悪い。がんばってもがんばってもスタッフは報われない。

 給料が安いのはもちろんなんだけど、安い上に仕事が多い。

 それだけでなく、仕事がどんどん増えるのだ。給料は上がらない、客は減らない、仕事は増える。その状況で、どうやって「お客様を満足させる」とか「感動させる」サービスを提供できるのだろうか。ということだ。

 現場のスタッフの多くは「とりあえず最低限のサービスを」という感覚でいる人が多いと感じる。これはもう、経営者の問題だと思う。

 経営者は、サービスの人間を「サービス好き」だと思って疑わない節がある。まずそれは、大きな間違いだ。サービスが好きじゃなくてもサービスの現場で働くスタッフはいる。半分くらいそう。また、サービス好き、接客好きな人が多いのももちろん事実なんだけど、それにしたって、趣味としての好きというのとはワケが違うのですよ。

「あいつら接客好きだからいつでもどこでも笑顔で大きな声でいらっしゃいませありがとうございますって言えるだろう」みたいなの、やめてもらえませんかね。

「プロなんだからどんだけ忙しくてもちゃんと用件聞いて的確に案内してミスなく手続きをできるだろうしかも短時間で」みたいなの、無理なんですよ。

 

 何度も何度も何度も何度も言ってますけどね、よいサービスを提供するには時間がかかるし技術も要るんですよ。つまり頭数が必要なんですよ。そこの人件費や教育をケチってたら「質の高いサービス」なんて無理なんす。絶対無理なんですよ。

 でもやってるとこあるじゃん、って、それは、給料以上の働きをしてるからなんとかできてるだけなんです。オペレーションどおりにまわしてたら絶対回らないような状況を、経験とテクニックと気合と根性でなんとか乗り切ってるだけなんですよ。

 

 それで、そういう現場なわけですから、実はサービスマンのスキルっておそろしく高い。個々の能力って化け物なみに高いのがゴロゴロ存在している、それがサービス現場です。

 だがしかし、サービスマンがいくら能力を上げても、技術を磨いても、経営者はそれを買ってくれないんです。笑顔やサービストークの技術はほんとにモノを売りますよ。でも会社はそれで給料を上げてくれることはありません。食べ物を作るにしても客席を的確にマネージメントするにしても、技術が高い人はほんとうに上手にまわしてお客に不満を抱かせない。でもそれで休みが増えることはない。

 そういう現状なんですよね。舐められてるんです。サービスマンは。

 だから、今回のようなことが起きるんです。自分の仕事に誇りがもてないんですよ。

 

 さて、それでは日本のサービス業の最高峰、オリエンタルランドによるディズニーランドではどのような雇用形態にあるのか見てみましょう。

 日本中のサービスマンの憧れの的、全サービス業のお手本のような夢の国。

 ちゃんと専用の求人サイトを作っています。日本中からディズニーで働きたいという若者が応募していることでしょう。

 「あなたにも使える魔法がある」

 いいコピーだ。

 

www.castingline.net

 

 そろいもそろって時給1000円です。

 思うんですけどね、ディズニーってほんとによく、サービス業では教科書になるんですよ。でもこれ、経営者にとって都合がいい形態であって、スタッフにとってはマルチ商法みたいに、うまいこと言って給料以上に働かされるだけのモデルなんじゃないかと思うんですよ。

 

 というわけで、サービスマンはあまり自分の能力を安売りするのはやめようよ、と思います。

保護者会に入っていないと子供が学校にいづらくなるのは異常でしょ

mainichi.jp

 

 PTA嫌いのドーケイです。

 でも今年は中学校のPTA本部副会長をやっていますいかがお過ごしですか。

 

 さてふと目にした記事で、いまのところ毎日新聞だけが報じてるのかな、というところです。

 中学校の保護者会を退会した父親が、娘が不公平な扱いを受けたということで、保護者会と学校事務長に賠償を求めて提訴した。ということらしいです。

 提訴したということなので民事訴訟ということですね。

 記事からだとよくわからないんですけど、とりあえず現時点でポイントを整理したいと思うんですけど

 

○PTAではなく保護者会である。

○私立の学校である。(中高一貫校

○中1の終わり(3月)に父親が保護者会を退会

○今年3月の卒業式で、保護者会から配布されるコサージュがもらえなかったなどした

○賠償額が2万円

○保護者会と学校事務長を相手取っている

 

 こんなところかな。と。

 事実関係はおそらく記事のとおりなんだと思うんですけどね。つまり、卒業式のコサージュやマラソン大会のシュークリームなどが、娘さん(だけ)には配られなかった。

 これですねえ、PTA糞だなーと思ってる俺ですけど、保護者会も同じなのかなというのが率直な感想でしかないかな。

 中高一貫校ってのは比較的新しい学校じゃないかと思うんですよね、だから、PTAはもともと組織してないんじゃないか。というか、私立でもPTAってあるのかなあ。

 ないんじゃないかな。

 PTAの基礎知識ですけど、「保護者と教員の会」みたいなものなんです。ペアレンツとティーチャーの会ってことでPTAなので。だから、PTA役員には、本部だろうが委員会だろうが、学校職員が入っています。PTAは、学校に協力するという役割と同時に、監視する役目も担っているのが基本です。

 だが、保護者会となるとl、おそらく完全に保護者だけなんです。学校からは切り離していて、保護者たちが自主的に学校に協力するために組織していると見るのが妥当かと。

 それはそれでいいんです。純粋に学校に協力したいことだけを、親たちがやればいいわけですから。本来そうあるべきなんでしょうが、ここの保護者会はほぼ強制参加なんじゃないっすかね。会費を半強制的に徴収して、なにかやるっていう。

 最初はいいんですよ。こういうの。何らかの目的があって、手段として組織して会費を集めて目的を成し遂げるというね。それがいつのまにか、会組織そのものが目的になってきて、「去年もやったから今年もやる」ってなるんです。もうこんなの火を見るより明らかだね。

 まあ、ここがそうなんかどうかはわかりませんけどね。

 この父親がなぜ保護者会を退会したのかわかりませんが、そこが一番気になるところです。その後二年間、父親と娘がどういう学校生活を送ってきたんだろうかと。それなりに苦痛があったんじゃないかと思うんです。

 じゃなければ、「コサージュをもらえなかった」ことで、「二万円」を求めて訴訟に踏み切らないんじゃないかと推測するんですよね。

 

 これ、PTAなんだったら学校を相手取ることもできたと思うんです。でも事務長まで。ということは、やっぱりPTAじゃなくて保護者会なんだと思うんですよ。記事の最後にPTAに詳しい専門家が登場しているので、にちゃんあたりではPTA叩きというエア叩きが繰り広げられてますけど。そうじゃない。保護者会なんでしょう。

 ただ、PTAだから全員参加が基本で保護者会だから抜けてもいいだろうといえばそうではなく、PTAも本来任意団体です。加入するもしないも自由のはずです。

 現状は気がついたら会費だけ徴収されているという親が圧倒的多数だと思いますけど。

 

 ここは中高一貫校だそうです。順当なら娘さんは高1になっていると思うんですけど、保護者会との戦いはまだ3年あるわけです。

 保護者会側の言い分もわからなくありません。熱心に子供のために活動していることでしょう。だが、問題はコサージュではないはずです。

 保護者会を脱会しただけで、いづらくなるというのは正常な状態ではないと思います。