ダダッ子を置き去りにすることがそんなに悪いのか
読みました
北海道山中で小学生男児が行方不明という事件も痛まししけれどそれは続報待ち。それに関連してこんな記事を読みました。
子供がグズグズしたり駄々こねたときに親が「うるせーコラじゃあ一生そこでそうしてろ」と子供を置き去りにするフリをするのはいけないことなんだろうか。
「置き去りにする」のなら、それは悪い親だと思います。それは悪い。
でも多くの親は「フリ」でしょ。置き去りにしないですよ。それはもう、99%以上の親はそうでしょ。
基本、親は自分の子をかわいいと思うもんです。だから本当に置き去りにしたりしない。でも、「うるせえなあ!」って思うくらい子供って言うこときかないときあるでしょ。
だからもう、ほんとにもう、「つい」カッとなってとか「つい」イラっとして
「じゃあいいよもうなんなんだよお前はよお!」
ってなっちゃうでしょ。そんなのさ、子育てしてりゃ日常茶飯事じゃん。
それを。それを、
駅とかで、よく子供に「お母さん、もう置いていくよ!」などと言われて親にスタスタ置き去りにされる子供をみたら僕は必ず大きな声で、「捨てられたのか!おじちゃんといい所へ行こう!」と抱き上げます。だいたいの母親は血相変えて戻ってきます。僕は毎回、本当にいいことをしていると思っています。
とかやられたらさ、「待て待て待て待てなにしとんねーん!」ってなるでしょ。
そもそもそのとき、すげー腹が立ってるわけですよ。もうね、ありえないくらい。かわいい自分の子供に「うるせーてめえ!」ってなってしまうくらい、腹が立ってるわけです。人目も気にせず「じゃあそこにいなさい!」って言ってしまうくらい、見境ないときですよ。それをそんなふうにチャカされたら。茶化す行為ですよこれ。あったまくるでしょ。
「おいおいあいつなんだよマジんなっちゃってだっせえの。」って、
無関係な人間に、見ず知らずの相手に、それなりに真剣な思いを足蹴にされて笑われるのだ。
そんなにみじめなことってあるだろうか。自分の無力さなんて承知してるよ。あとですげー反省するんだよ。ごめんねってたくさん言うんだよ。それをさ、プギャーって言われてあげく
「いいことをしたと思います」
とか言われたら、ほんとに情けなくて泣きたくなるね。
いいことしたいならせめて「まあまあお父さんそう言わずに、お子さん泣いてますよ」くらい言えよ。直接親に言えよ。子供ダシにするなよ。なんかあったら「親の責任親の責任」って石投げるくせに、目の前で親が 狼狽してるときに直接石投げてこないってなんなのよっていうね。
というかですね、「いいことをしたい」というのはつまりそうやって、子供をいじめる悪い親を成敗したいってことなんでしょうから、「まあまあそう言わずにお父さん。あなたのやってることは虐待じゃありませんか」って言ってこいよ。
そんなことを思うわけですよ。
で、そんなことを言うときっと「子供をかわいがる親ばかりじゃない」とですね、言われるわけですよね。毒親っていうんですかね、そういうのがいるのでかわいそうな子供に助け舟をだしてやったのだと。
俺がまずいなーと思うのはまさにそこで、そういう親がいるのはわかってますよ。だからこそ、そういう親が、自分の子供に「いいこと」をされたらどうなるんですかね。
「お前のせいで恥かかされたじゃねえか」
「お前が泣き叫んだせいでへんな奴に声かけられたじゃねえか。俺がいなかったらお前誘拐されて殺されてたんだぞ」
とか、さらに逆上する材料になるんじゃないんですかね、ってことがね、心配でしたよね。
だから、まあ、怒って置き去りにする行為が正当化されるとも思ってませんけど、それをドヤ顔で「おじさんと行こうって言うと親が連れ戻しに来るのでいいことした気分」とかって言ってるのも、それを肯定的に拡散するのも、同じくらいかそれ以上に恥ずかしい行為だろう。ということです。
子育てしたことねえんじゃねえの? って思いますね。まじで。
結婚式はやった方がいいと思う(披露宴はまた別)
読みました。
俺は結婚式「やろうぜ」と思う派です。ただし、披露宴は「どっちでもいい」と思います。
まあね、今大体結婚式と披露宴てセットでやりますわね。
んで、親族や親しい友人以外(会社関係や友人)は、結婚式が終わって披露宴から呼ばれることも多いんじゃないですかね。
なので結婚式と披露宴はわけて考えたほうがいいと思うんですよ。
俺はサラリーマン時代も超絶ブラックの地方の零細企業だったので、会社関係の披露宴に呼ばれたこととかないし、今の業界も結婚式とか披露宴とか呼ばれることもないんですよねー。独身も多いしなあ。
だから頻繁に「行きたくもない披露宴に行かされる」こともないのでこんなことがいえるのかとも思うんですが。
俺自身の結婚式、披露宴については昔書いたものがあります。
そこで、披露宴てなんだろう。なんで披露宴なんてやるんだろう、ということについて書きましたけど、
披露宴て言うのは、両家の親戚同士の前で「私たち結婚しました」=家族になりました つまり親戚が増えましたっていうことを報告する場であり、また、新しく親戚となった方はこの人であり、さらにその家族親族はこれらですっていう紹介も兼ねてのことなんだって思った。
俺流節約結婚式プログラム - 道ログ2
んで、どういう風にしたかっていうと、俺はこんな風に考えて、披露宴を作りました。
自分の結婚した相手がこんな人なんです、これから大人の仲間入りして親戚の中でも色々とお世話になりますっていう際に、「新しい旦那さん(お嫁さん)はどんな人なの?」って知るためには、その友人に聞いてもらうのが一番だと思ったからだ。 俺たちはこんな人たちに囲まれて成長してきました。って、親しい友人を紹介することで相手方の親戚への自己紹介になるんじゃないか、って思ったんだ。
俺流節約結婚式プログラム - 道ログ2
こんな感じです。
だから、普段付き合いのある親戚や世話になっている人の披露宴に招待してもらうのは嬉しいことだし、可能な限り出席してあげるべきだと思うし、友人としても、仲の良い大切な友人であれば、祝福に駆けつけてあげるべきだと思ってます。
こんな風に思っているからこそ、「なんとなくやる」ような披露宴は、やらなきゃいいのに、と思うんです。そして、行かなくていいんじゃね、と思うんです。
なんで披露宴やるの。って、招待する側はきちんと考えて、自分なりの理由でいいから持った上で、招待するべきだと思うんですよね。意識高い風に言えば「コンセプトをしっかり持って」披露宴すべきなんですよ。
そうでないなら、やらんでいいです。
招待され側も、どーでもいい相手なら勇気をもって断ろう。親戚の披露宴などはそう多くないだろうけど、友人となると年齢的に重なる時期もあろう。その友人はほんとに大切な友人だろうか。家族を持った後も付き合っていきたいだろうか、それくらい考えて出欠を決めていいんじゃなかろうか。と思ったりします。
仕事関係の付き合いでたくさん呼ばれるほどの人であれば、それはそれで交際費であきらめてしまうという手段もあります。そのへんのことはよくわかりません。お財布と仕事と相談してくださいごめんなさい。
ただし。
結婚式はやろう。招待者などいなくていい。家族だけでもいい。二人だけでもいい。
結婚式はやるべきだ。結婚というのは大切なことなんだ。人生でそうあることじゃない(できれば一度きりがいい)。他人同士がもっとも近い家族になるのだ。人間の意志によって決断する、おそらくもっとm大きな決断だと思うのです。
ですから、信仰のある人はその神様なりの御前にて。または逆に信仰によって、人々に対して「愛を誓う」ことが大切なのです。
つらいことがあったとき、不仲になりかけたとき、なぜこの人と一緒にいなければならないのかと悩んだとき、
「あの日私たちは神様の前で夫婦になったのだ。神様と約束をしたのだ」
という事実は、大きな勇気になるのです。
だから是非、形はどうであれ、結婚式という儀式は、大切にしていただきたい、と思います。
オバマ大統領が広島を訪れたのでありがとうと言いたくなった
まさに歴史的な一日だったということで、さすがに記しておきたい。
外交にも政治にもそれほど興味はないけれど、これはもうほんとにすごいと思うし、なんというか、すごいことが起きたっていうことはわかった。
で、それを批評する能力は持ち合わせてないので、ちょろっとだけなんとなく感じたことを書いておくと、まず、日本側(広島のみなさん?)が、アメリカに対して謝罪を求めなかったということで、その決断を支持したい。すごくすごく葛藤があったと思うし、色んな方面を説得するのも大変だったんじゃないかと思う。それでも、友好的にというか、あたたかくお迎えしたいという気持ちというか、そういうの、すごくいいと思う。
そして、オバマ大統領のその決断というか、また真摯な振る舞いと態度というか、そういうのにもう、なんか感動した。
スピーチの内容がどうとか、日本の外交がどうとか、それぞれの首脳がどうとかっていう評価のしようもあるし、皆さんそれをもって歴史的と評するわけなんだが、俺はなんていうかこう、オバマ大統領ありがとう、的な感情になった。
広島のみなさんもありがとう、と思った。
権力者であったり、国と国であったり、過去のいろいろがあったりすることはそれなりに理解するのだが、それにしても、結局のところ、人と人。人対人の延長上に世界は広がっていくのだ、というような、宗教家として非常にもったいない光景を見たような気がした。
ほんとうに関係各位、お疲れ様でした。世界のために大きく貢献していただいたことと思います。
オバマさん、ありがとう。
ホテルマンが低賃金の非正規のとき、夢の国のキャスト様たちはどうしているのか
帝国ホテルのホテルマンが普通に時給1000円くらいのバイトだった - Togetterまとめ
ホテルマンによる個人情報流出がまた話題になったらしい。詳しくは見てない。
その案件を聞いて思い出したのはもう数年前だが、ホテル内のレストランのアルバイト学生が、サッカー選手と女優が来たと、よりによって不倫現場をばらした事件だ。
あの女子は「女子力」という言葉を女子力とは無縁の世界に一般かした功績は大きいし、女子力が高い女子=なんかいけすかない、というイメージを固定化したと思う。
引き続いてスポーツ用品店のアルバイトが来店したプロ選手をディスるツイートをして炎上したりした、そういう時期のお話だ。
今回炎上したのはホテルマンのやらかしそのものではなくて、そのスタッフが正規雇用ではないらしいということ、さらに時給1000円で働かされていたということが原因ぽい。
日本のサービス業は、というと主語が大きいけれど、サービスの現場をいくつか見てみると、本当に待遇が悪い。がんばってもがんばってもスタッフは報われない。
給料が安いのはもちろんなんだけど、安い上に仕事が多い。
それだけでなく、仕事がどんどん増えるのだ。給料は上がらない、客は減らない、仕事は増える。その状況で、どうやって「お客様を満足させる」とか「感動させる」サービスを提供できるのだろうか。ということだ。
現場のスタッフの多くは「とりあえず最低限のサービスを」という感覚でいる人が多いと感じる。これはもう、経営者の問題だと思う。
経営者は、サービスの人間を「サービス好き」だと思って疑わない節がある。まずそれは、大きな間違いだ。サービスが好きじゃなくてもサービスの現場で働くスタッフはいる。半分くらいそう。また、サービス好き、接客好きな人が多いのももちろん事実なんだけど、それにしたって、趣味としての好きというのとはワケが違うのですよ。
「あいつら接客好きだからいつでもどこでも笑顔で大きな声でいらっしゃいませありがとうございますって言えるだろう」みたいなの、やめてもらえませんかね。
「プロなんだからどんだけ忙しくてもちゃんと用件聞いて的確に案内してミスなく手続きをできるだろうしかも短時間で」みたいなの、無理なんですよ。
何度も何度も何度も何度も言ってますけどね、よいサービスを提供するには時間がかかるし技術も要るんですよ。つまり頭数が必要なんですよ。そこの人件費や教育をケチってたら「質の高いサービス」なんて無理なんす。絶対無理なんですよ。
でもやってるとこあるじゃん、って、それは、給料以上の働きをしてるからなんとかできてるだけなんです。オペレーションどおりにまわしてたら絶対回らないような状況を、経験とテクニックと気合と根性でなんとか乗り切ってるだけなんですよ。
それで、そういう現場なわけですから、実はサービスマンのスキルっておそろしく高い。個々の能力って化け物なみに高いのがゴロゴロ存在している、それがサービス現場です。
だがしかし、サービスマンがいくら能力を上げても、技術を磨いても、経営者はそれを買ってくれないんです。笑顔やサービストークの技術はほんとにモノを売りますよ。でも会社はそれで給料を上げてくれることはありません。食べ物を作るにしても客席を的確にマネージメントするにしても、技術が高い人はほんとうに上手にまわしてお客に不満を抱かせない。でもそれで休みが増えることはない。
そういう現状なんですよね。舐められてるんです。サービスマンは。
だから、今回のようなことが起きるんです。自分の仕事に誇りがもてないんですよ。
さて、それでは日本のサービス業の最高峰、オリエンタルランドによるディズニーランドではどのような雇用形態にあるのか見てみましょう。
日本中のサービスマンの憧れの的、全サービス業のお手本のような夢の国。
ちゃんと専用の求人サイトを作っています。日本中からディズニーで働きたいという若者が応募していることでしょう。
「あなたにも使える魔法がある」
いいコピーだ。
そろいもそろって時給1000円です。
思うんですけどね、ディズニーってほんとによく、サービス業では教科書になるんですよ。でもこれ、経営者にとって都合がいい形態であって、スタッフにとってはマルチ商法みたいに、うまいこと言って給料以上に働かされるだけのモデルなんじゃないかと思うんですよ。
というわけで、サービスマンはあまり自分の能力を安売りするのはやめようよ、と思います。
保護者会に入っていないと子供が学校にいづらくなるのは異常でしょ
PTA嫌いのドーケイです。
でも今年は中学校のPTA本部副会長をやっていますいかがお過ごしですか。
さてふと目にした記事で、いまのところ毎日新聞だけが報じてるのかな、というところです。
中学校の保護者会を退会した父親が、娘が不公平な扱いを受けたということで、保護者会と学校事務長に賠償を求めて提訴した。ということらしいです。
提訴したということなので民事訴訟ということですね。
記事からだとよくわからないんですけど、とりあえず現時点でポイントを整理したいと思うんですけど
○PTAではなく保護者会である。
○私立の学校である。(中高一貫校)
○中1の終わり(3月)に父親が保護者会を退会
○今年3月の卒業式で、保護者会から配布されるコサージュがもらえなかったなどした
○賠償額が2万円
○保護者会と学校事務長を相手取っている
こんなところかな。と。
事実関係はおそらく記事のとおりなんだと思うんですけどね。つまり、卒業式のコサージュやマラソン大会のシュークリームなどが、娘さん(だけ)には配られなかった。
これですねえ、PTA糞だなーと思ってる俺ですけど、保護者会も同じなのかなというのが率直な感想でしかないかな。
中高一貫校ってのは比較的新しい学校じゃないかと思うんですよね、だから、PTAはもともと組織してないんじゃないか。というか、私立でもPTAってあるのかなあ。
ないんじゃないかな。
PTAの基礎知識ですけど、「保護者と教員の会」みたいなものなんです。ペアレンツとティーチャーの会ってことでPTAなので。だから、PTA役員には、本部だろうが委員会だろうが、学校職員が入っています。PTAは、学校に協力するという役割と同時に、監視する役目も担っているのが基本です。
だが、保護者会となるとl、おそらく完全に保護者だけなんです。学校からは切り離していて、保護者たちが自主的に学校に協力するために組織していると見るのが妥当かと。
それはそれでいいんです。純粋に学校に協力したいことだけを、親たちがやればいいわけですから。本来そうあるべきなんでしょうが、ここの保護者会はほぼ強制参加なんじゃないっすかね。会費を半強制的に徴収して、なにかやるっていう。
最初はいいんですよ。こういうの。何らかの目的があって、手段として組織して会費を集めて目的を成し遂げるというね。それがいつのまにか、会組織そのものが目的になってきて、「去年もやったから今年もやる」ってなるんです。もうこんなの火を見るより明らかだね。
まあ、ここがそうなんかどうかはわかりませんけどね。
この父親がなぜ保護者会を退会したのかわかりませんが、そこが一番気になるところです。その後二年間、父親と娘がどういう学校生活を送ってきたんだろうかと。それなりに苦痛があったんじゃないかと思うんです。
じゃなければ、「コサージュをもらえなかった」ことで、「二万円」を求めて訴訟に踏み切らないんじゃないかと推測するんですよね。
これ、PTAなんだったら学校を相手取ることもできたと思うんです。でも事務長まで。ということは、やっぱりPTAじゃなくて保護者会なんだと思うんですよ。記事の最後にPTAに詳しい専門家が登場しているので、にちゃんあたりではPTA叩きというエア叩きが繰り広げられてますけど。そうじゃない。保護者会なんでしょう。
ただ、PTAだから全員参加が基本で保護者会だから抜けてもいいだろうといえばそうではなく、PTAも本来任意団体です。加入するもしないも自由のはずです。
現状は気がついたら会費だけ徴収されているという親が圧倒的多数だと思いますけど。
ここは中高一貫校だそうです。順当なら娘さんは高1になっていると思うんですけど、保護者会との戦いはまだ3年あるわけです。
保護者会側の言い分もわからなくありません。熱心に子供のために活動していることでしょう。だが、問題はコサージュではないはずです。
保護者会を脱会しただけで、いづらくなるというのは正常な状態ではないと思います。
ネットでマジレスをしていこうと思う
特にはてな界隈にいると、マジレスかっこ悪い的な空気が漂っていて、つい大喜利に参加してしまいがちになる。
はてなブックマークコメントを見れば、ああなるほどこういうことかとわかってもらえると思うんだが、と書きながら、いやはてブ未経験の人にはカオス過ぎて意味がわからんわな、と思う。
はてブだけでなくてツイッターも大喜利大会が日夜開催されている。
ネットのゆるい空気感はとても好き俺もそういう雰囲気で馴れ合っていたいのだけれど、同時に、まじめに書いていることもある。
そして、ネットの魅力の一つに「身分を伏せて言いたいことが言える」という点がある。それはもちろん、犯罪予告とか誹謗中傷をして人を傷つけるという危険もあるのだが、誰にもいえない悩みや苦しみを抱えている人にとっては、救いでもある。
はてなの有名なサービスに「増田」がある。アノニマスダイアリー、「匿名日記」だ。ごめんカギ括弧を二回登場させたけど、正式名は「アノニマスダイアリー」のほうだと思う。
増田には本当にたくさんの投稿がされて、俺なんかは人気になったエントリーを読む程度なんだけど、大体はネタだし釣りでしかない。しかし、切実な投稿もあるのだ。
最近も旦那のDVに悩む奥さんの投稿があった。会社の仕事の悩みを打ち明ける人もいる。パワハラ案件。恋愛相談もあるし、告発めいたものもある。
さっきも言ったけどほとんどがネタだし釣りだ。まともに取り合うのかどうか、増田だけに意見が分かれますだ。
だがしかし、100に一つも本当に悩んでいる人がいるのなら、そこにきちんと声をかけてあげたいと思うのだ。
最近はメディアクリエイターとかプロブロガーとか、第何次かのはてな全面戦争の空気だが、そんな時だからこそ、ネットの持つ魅力を再確認して、おっさんとしてネットの利点を保持していきたいと思うのだ。
悩みを打ち明けている人がいるのなら、釣りかどうかを探る前に、「話を聞いてるよ」と伝えたいし、耳を傾けたい。たとえそれが釣りであっても、同じような悩みを持つ人がいつか見るかもしれない。そういう人たちにとっては笑えない話なのだ。だから、きちんと答えたい。答えられない問題には手を出さない。そういうことをしていきたいと思っているのでその決意表明だ。
事実、マジレスのブコメにいくつかのスターがつくことは珍しくない。
ネタを繰り広げるもネット、釣るのも釣りを見破るのもネット。
真剣に悩みを打ち明けるのもネットなら、真剣に悩みを聞くのもネットなのである
高橋みなみに熱愛報道
今年の4月8日に卒業したらしい知らなかった。
高橋みなみはAKB総選挙で毎回10位以内に入り込んでくる超人気メンバーの一人だったし、一期生として前田敦子と二人でながらくAKB48を支えてきた、超一級の功労者だ。
それが、卒業するや否やスキャンダルによる炎上商法をしかけてきた。
先日NHKの歌番組で彼女の雄姿を見たが、それはもうひどい有様であった。
日本のトップアイドルグループの中心の中心を10年間勤めてきたのがこれか、思うと、そりゃCD売れないわけだわ、と納得できるほどだ。
実はたかみなはAKBの中では歌うまポジションなのだ。実際まあ、うまいんだと思う。そこそこ。だがしかし、進歩がないというか、ただでっかい声でそれっぽく歌うことしかできないのかこいつは、というところだ。
どこかの合唱部にでも入ってやり直して来いと思う。
で、そのたかみなの熱愛報道なんだけど、まったく盛り上がっていない。
今年は不倫イヤーだ。デビルイヤーは地獄耳なんだが、不倫イヤーは泥沼耳である。
それなのにたかみなは不倫じゃなかった。なにやってんだ。不倫だろここは。
なんかそれっぽいビジュアルバンドのチャラい奴とかと不倫しといて謝罪会見ひらいてこそだろう。
ただの彼氏ってなんだよ。お前の彼氏なんか誰も興味ねえよ。そんなの炎上しねえから。
という感想しかない。がんばれたかみな。
それより驚いたのが先日、車でラジオを聴いていたら、NHKラジオで篠田真理子が人生相談を受け付けていた。アラサー女性からの悩みを受け付けてそれに回答していた。あいつももう30らしい。ちょっとウケタ。
それにしても二人とも、声にまったく魅力がないのは相変わらずだ。
とくに篠田。君は声がまったくアイドルではないのだから、話し方をちゃんとして、もう30なんだから、若い女性があこがれる存在になってほしいと思います。
おれは邦画のほうが好きだよ
テラフォーマーズが大コケしてるらしい。
そもそも俺は映画に興味がない。ほとんど見ない。映画館に足を運ぶのはクレヨンしんちゃんかドラえもんくらいだ。
家にいても映画は見ない。DVDをレンタルするのも子供のアニメだけだ。
そんな俺が映画について語ることなどないんだけど、俺は洋画より邦画のほうが好きだよということ。
理由は、日本語しかわからないからです。
英語をはじめ外国語はしゃべれないし聞いても意味がわからないからです。
だから、邦画のほうが好き。俳優がどんなセリフをどう発しているかがわからないって、芝居を見る上で重要だと思うんですよ。
つまり、演技がわからないんです。邦画じゃないと。
映画って言うのは創られた映像と、脚本と、俳優のお芝居を楽しむものだと思うんですけど、洋画はそのお芝居がわからない。から、魅力が半減しちゃうんですよねー。
そういう理由で俺は邦画のほうが好き。
テラフォーマーズは見たいと思わない。
お客様は神様
今は本業はサービスではなくなっていますおはようございます。
いや待てよ本業がサービスってなんだろう。サービス業っていう職業があるわけではなさそうなんだけど。どんな職種であれそれぞれサービスしているとは思うんだけどね。
まあ、「直接お客と接する職業」とでも言えばいいのか。まあいいや。なんでも。
んでさ。俺はサービス業であった頃から「お客様は神様ではない」と言っていたわけなんだけど、こないだふと「お客様が神様だったらどうだろう」と考えてしまった。
お客が神様だったら。店員はどうなるか。販売員はどうなるのだろうか。カスタマーに何が起きるのか。
んでさ、神様ってなに。
「こっちは客だよ? お客様は神様だろ?」
なんて言う人平成も30年近くなった現代にどれくらい存在しているのかわからないけどおそらく多い。特にそういうタイプの人達が言う「神様」ってなに。どんなの。
神社さんにいるあの神様? なんだよあの神様って雑な単語。自分で言ってて意味わかんねえ。神様に対して「あの」とか。なんだこの「あの神様」という言葉から噴き出してくる雑な感じ。破壊力。
神様だから精一杯おもてなしをすべきなのか。ハレの日にお迎えをしてご利益を授かるべく奉納を行うべきなのか。
ところで俺の思うというか知っている神様は、我々人類の「親」である。
この世界を創造され、人間をお創りくださった、親である。「我が子かわいい」その一心で世界万物、一瞬の隙も切れ目もなくお働きご守護くださる、それが神である。
神は常に人間に対し最大限の愛を注ぎ、お守りくださっているのだ。
それが神だ。
「お客様が神様」であるならば、客は店員に対し、まず無条件に愛を注ぐべきだ。
親が我が子を愛し慈しむように、職員に、スタッフに接するのだ。全てをお許しになる存在であるべきなのだ。
それこそが「お客様は神様です」の正しい姿であろう。
私はそう思うが、それぞれの信仰によって考え方は異なるであろう